トップページ | 2003年7月 »

2001年10月31日 (水)

『おじいちゃんの口笛』

ウルフ・スタルク作  アンナ・へグルンド絵   ほるぷ出版


いったい何から書いたらいいのだろう。
そして、いったい何が書けるだろう・・・。
完全にノックアウトされてしまった。スタルクに!

いつか自分にも老いが訪れることは、誰だって知っている。
けれど、それがどんなものなのかは、
けっして想像して解るものでは無い気がする。

『おじいちゃんと口笛』に登場するおじいちゃん・ニルスさんは、
老人ホームで暮らしている。
ある日、小遣い欲しさに、7歳のウルフとベッラの2人組みが、
そのホームへやってきて、
偶然開いていたドアの向こうにいたニルスさんを
「ぼくのおじいちゃん!」と呼んで、
ニルスさんとベッラの孫ごっこは始る。

なんとも不純な動機。
しかし慰問などというエセ善行より、まだ嘘が無いだけ信用できる。

ニルスさんに小遣いを貰ったりコーヒーをご馳走になったり、
美味しい目に合うだけが目的だった孫ごっこに、
次第に血が通い始めていく。愛情が育ち始めていく。
その象徴が「口笛」。
ベッラは、ニルスさんからお金では買えないものを貰ったのだ。

きっと、ベッラにも日々の中で満たされない何かがあったのだろう。
その欠けた思いを、ニルスさんに埋めてもらいたかったに違いない。
老いるとは、なんと孤独なことだろう。
孤独を感ずることの無い人間など皆無だろうが、
老いての孤独は、それにも増して残酷な気がする。

ニルスさんの誕生パーティの夜、彼の魂からこぼれ出た台詞、
「おまえみたいな孫がほんとうにいたらなぁ。」。
そして、答えるベッラ。
しかし、この2人は知っていたと思う。
もう「本当」かどうかは、大した意味が無いってこと。
要は、誰かが自分を必要として思ってくれるかどうか、だもの。


へグルンドの絵が、
ちょっぴり滑稽で、ちょっぴり哀しい気持ちをよく現している。
3人でシルクのスカーフを使って凧を作る場面の、おじいちゃんの嬉しそうな顔が、なんとも心に残る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月23日 (火)

『とべ、カエル、とべ!』

ロバート・カラン 文  バイロン・バートン 絵   評論社


わたしが通った幼稚園は、仏教系だった。
つまり園舎の隣にお寺があったということ。
お寺の暗いお堂の中は、
目を合わすのも憚られるような大きな仏像や、
蓮の飾り、彫刻があり、
子供のわたしにとって、入室する際には
見るのが怖いような、でも好奇心はいっぱいだったような、
不思議な場所だった。

そしてわたしは、『とべ、カエル、とべ!』を手にしたとき、
なんだかあのお堂の暗闇の中に
タイムスリップしたような気になったのだ。
日本的なものとは異なる、アジアンテイストの匂い。

バイロン・バートンの絵は、
わたしには、デザイナー的な、記号化されたイラスト、
というイメージしかなかった。
しかし、この絵本のイラストは、
あきらかに、そういったイメージと一線を隔す。
登場する動物たちの目に、意思が宿っているのだ。
ヘビやカメには、眉毛さえ加えられ、意思の確かさを強調している。
バートンの描く、まるでレゴ人形のような表情は、そこには無い。

この絵本の舞台は、小さな池。蓮の花が咲いている。
そこに、水からトンボが上がってきて、
それをカエルが跳んでパクッ!
トンボを食べたカエルは、
今度は逆に次から次に動物たちから狙われる側となる。
サカナ、ヘビ、カメ、そして少年たち・・・。
カエルは逃げきれるのか。そして結末は意外にも・・・。

この絵本のもう1つの楽しみは、
文章が言葉あそびになっているところ。
まるで、『これはのみのぴこ』のように、
前出の動物の形容詞が、次にも繋がって再び形容詞に加わっていく。
聞いている子ども達は、
そのクドイほどの連続性に、きっとご機嫌になるだろう。
そして、読み終えたあと、
しばらく「とべ、カエル、とべ!」というフレーズが、
こどもたちの口癖になること請け合います!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月18日 (木)

『秋』  五味太郎

この絵本を手にしたとき、
「えっ?秋じゃなく、夏でしょ?」と思わず口からこぼれた。
だってね、青い空(もしくは水面)を背景に、なにやら棒切れに白い帽子が掛けてある絵なのだ。
まるで、暑中見舞いのポストカードのようではないか。
訝しげな気持ちで、ページをめくり始めた。

初っ端、帽子は無くなり、その棒切れに一羽の鳥が飛ぶ。
ははん、どうやら、この棒切れが、ステージ(舞台)らしい。
ここからが、「はじまりはじまり~」というところだろうか。
その次のページで、いよいよトンボがその棒切れにとまった!
その後は、何故かヘリコプター。これはご愛嬌かな。(笑)
(五味さんの作品には何故かへりコプターの登場回数が多い。)
その後からは、出るわ出るわ、秋の素材たち。
運動会、遠足バス、おむすび、おまつり、音楽(バイオリン)、菊の花、お月さま、

そして、何も無い棒っ切れだけのページ。
五味さんは、そこに「あきのくうき」という文章をはさむ。
う~ん。いいなぁ。
そして、ラストのページ。雪の結晶がひらひらと空から1つ。
そう、秋の終わり、晩秋の空。
背景は、表紙の白い帽子から、ずっと同じ青色が変らず続いているのに、いつの間にか、夏から秋、そして晩秋へ、見る者の気持ちを変化させてしまった。
つまり、表紙から裏表紙までの間に、「秋」が凝縮されている、ということ。
なんだか、最後にこの結晶を見たとき、「五味さんにやられたっ!」って思わず舌打ちしてしまった。あざやかな逃げ切り。

五味さんならではの、切れ味のいい作品でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月16日 (火)

『小さな恋』

エルズビエタ 作   宝島社


先週この大型絵本を図書館のカウンターに持っていった時
司書さんが、いきなり
「あぁこの本も、あなたが借りてくれて喜んでるわ。」
と言われた。
何のことかと思ったら、この本が図書館に蔵書されてから
わたしが二人目の貸し出しの上、
前回からすでに5年の月日が流れている事が、
貸し出しカードに押された日付で判った。

なんと長い月日、本棚の中で待っていたことか!
そう思うと、けなげでいとおしく思えて来るから不思議だ。
さっそく家に連れて帰り、我が家の居間の書棚に迎え入れる。

わたしはこの絵本が図書館にあることは
以前から気付いてはいた。
ただ『小さな恋』という題名が、
幼い子ども達に読んでやるには、
なんだかふさわしい本ではないような気がして、
ずっと手に取ることがなかったのだ。

物語は、南フランスの小さな海辺の街が舞台。
毎日、浜辺で釣り糸を垂れる少年。
彼は人魚が釣りたかった。
そして、そんな彼を好きな1人の少女。
少年は人魚に夢中で、少女の方を振り向く事が無い。
2人にとってソーダ水のように淡い夏は
やがて終わって、離れ離れとなる。
そして年月は流れて・・・。

まるでフランス映画のように、
多くを語らず、淡々と2人の時間は流れて行く。
ページをめくるたびに、
浜に打ち寄せる波の音や、潮の香りが漂ってきそうな
シンプルな絵。
読む人の想像力によって、どうにでも背景が描けるのだ。

こう言うのってなんと言う技法か、
う~ん、バーニンガムの『くものこどもたち』みたいに、
背景の上に、別の描いた人物を張り合わせたのだろうか。
人物や1部の小道具だけが、
殆ど何も描かれていない自然素材の背景の上で
ちょっと浮き上がったように、でも絵としては馴染んでいる。

実は、わたしはこのエンディングは、好みではない。
なんで、こんな取って付けたような終わり方に
しっちゃったんだろう。
やはり、絵本だから?
でも、これが好き!という人の方が多いかもしれないなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月15日 (月)

『おおきくなったら…』

ハイデイ・ゴーネル 作  小比賀優子 訳   ほるぷ出版


子供の頃、わたしは早く大人になりたい、と思っていた。
大人になって、
行きたい場所や、やってみたいことがたくさんあった。
いったい何をしたかったのか、
今となっては、あまりに
些細なことだったり、現実味の無いことだったりするが、
当時は真剣そのものだった。

この絵本を開いたら、
なんだかあの頃のことが、鮮やかに甦ってくる。
母の鏡台の前に並んだ化粧品を黙って使ってみたり、
父のコップに残したビールをこっそり飲んでみたり・・・。
そんな秘め事も、
大人になるための儀式だったに違いない。

この絵本の中の子たちも、
車を運転したり、宇宙旅行に行ったり、
家を建てたり、といろんなことを夢見ている。
そして、
その将来を夢見る子ども達には顔が描かれていない。

ハイデイ・ゴーネルは、
顔を描かないイラストレーターだ。
しかし、顔が無くても、
その表情はちゃんと伝わってくる。
顔が無い分、
余計にその内面の深さが現されている気がする。
各々の思いが、顔という外側に出るのではなく、
内へと向うことでより一層純粋さを増す。

夕暮れ時の誰もいない居間や、
夏の午後の陰の濃い住宅街、
ざわざわ皆して大騒ぎしている教室やなんかで、
ほんの一瞬、自分の内側にすべり込む。

その静かな時間に考える「おおきくなったら・・・」
っていう思いは、
未来に向って永遠に続くものだと思っていた、あの頃。


この絵本を初め見たとき、
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』《村上春樹》の
佐々木マキを思い出した。
彼のあの一連の作品にも顔が無く、
絵の雰囲気がよく似ている。
ただの偶然ではないかもしれないなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『きんいろのとけい』

片山令子・文   柳生まち子・絵  クレヨンハウス


柳生まち子さんの描く絵が好きだ。
もし自分がイラストレーターになることができていたら、
彼女のような絵を描いてみたかったなぁ、と思うほど。
そのままan・anなどのファッション雑誌に置き換えても
何ら違和感の無い、ハイセンスなイラスト。
背景や小道具も凝っていて、主人公たちの洋服もオシャレ。
水彩画の明るめの色使いが、見てて元気になるし、
特に印象的なのが肌色!
柳生さんの、もしかしたら1番得意な色かな?、と
密かに思っている。

この絵本、図書館で見つけた時、
本を抱えて小躍りしてしまった。
今春のこどものとも『3びきねこさん と さくらんぼさん』から、
彼女の未読の絵本には、めぐり会えていなかった。
これは、片山令子さんの文。なんとも期待のコンビではないか。

表紙は、虫かごと水筒をタスキ掛けにした女の子が、
こっちを見て立っている。
しかし、お話を読み始めて、
これが男の子だと判って、ちょっとびっくり。
つまり、主人公は、
男の子でも女の子でもどっちでも構わない、と言うことなんだろう。

その子が、おじいさんから貰い受けた
きんいろの懐中時計を携えて、
森へ遊びに出かけたところから物語は始る。
ふとしたことで、
その子が懐中時計を森に落としてしまった。
最初にその時計を見つけたのはクマ。
クマはドロップの匂いが付いたその時計を、
何かの果物だろうと想像する。
そこへ来たのがウサギ。
ウサギは、時計のコチコチいう音を聞いて、
これは何かの生き物の赤ちゃんに違いない、と
時計のために草のベッドを作ってやる。
最後に登場するのがフクロウ先生。
彼は、草のベッドに置かれたきん色の懐中時計を見て、
これは鳥の卵だから、温めてやらねば、と
時計の上に座ってやる。
そこへ、持ち主のこどもがやって来て・・・。

こんなふうに、1つの物から
いろんな想像の翼を広げられるのは、やはり
こどもの特権だよね。

時計という、
大人からは判りきった、何の変哲も無い物でも、
子どもには、いろんな角度から分解できてしまう才能がある。

本の奥付に、片山さんが
このおはなしを作るきっかけになった、
ある逸話をしたためられている。
こんな何気ないことから物語を作ってしまう作家さんって、
やっぱり子ども側の人なんだろうなぁ。

そうそう、
柳生さん、どうも江國さんと仕事をされているらしい。
要チェック!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月14日 (日)

『絵本画家の日記』

長 新太    ブックローン出版


すでに廃刊となった、絵本情報誌『Pee Boo』に掲載されていた長さんのエッセイを集めたもの。
それにしても、長さんの危機感は凄まじい。
最近の絵本をめぐる出版事情や作家達の姿勢に対して、
これでもか、これでもかと、石つぶてを投げてくる。

皮肉な事に、この絵本をめぐる世界が厳しいのは、
『Pee Bee』が廃刊になったことだけでも
すでに証明されてしまっている。

この絵本(と呼べるのか)の凄さは、
長さんの視線を体験できるところかな。
長さんの作品ならいくらでも見ることが出来るけど、
長さんという人が、何を見ているか視線の行方を、
この日記を読むことで、体感できる。

そうか・・・。長さんもいろんな作家さんのことを
普通に意識していたんだ。
長さんがそんな、
才能や名声、収入といった物欲・煩悩も
持て余した一絵描きだったなんて、
あの全てを悟ったような外見からは
窺い知る事も出来なかった。
それが何だか可笑しいような、哀しいような・・・。

わたしの1番好きなページ。
おやつにジャムパン(JAMPAN)を食べたら、
袋の文字が(JAPAN)に見えて、
今の日本の絵本が、
JAMPANのようにふわふわで甘いだけのものになってやしないかと、結びつけていくページ。

長さんは、JAMPANの袋に
「品質に万全を期している」という但し書きを見つけて、
果たしてそんな出版社があるのか!?と
疑問を呈するが、事態はもっと深刻なのかもしれない。

チョーさん、もっと、もっと
石つぶて、投げて行ってちょうだいね。
(チョーさん風、言い回し)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2001年10月12日 (金)

『ちいさくなったパパ』

ウルフ・スタルク 作  はたこうしろう 絵  小峰書店 


『お姉ちゃんは天使』を以前読んだ時も、
その題材の奇抜さに驚いたが、
今回はその時の絵描きさんアンナ・ヘグルンドとは
異なるところが気に入ってこの本を手にとってみた。

はたこうしろうさん。
最初、日本人の方の絵だとは考えもしなかったほど、
スタルクとの相性はぴったり!!

わたしはどうも、
「てんでばらばらにつっ立っている」《文中より》ような線で
描かれた絵が好き。
例えば、クエンティン・ブレイク。
例えば、サイモン・ジェームズ。

絵描きさんの手を離れて勝手に突っ走っていく線が、
絵の中でケタケタ笑っている声が
まるで聞こえてきそうな愉快な絵。
そして、このはたこうしろうさんの絵が、
まさにスタルクとのタッグを
楽しくってしょうがないって叫んでるように見える。

「小さくなったパパ」と「息子のトーマス」に芽生える
奇妙で複雑な友情。
小さくなったパパは、
いったい何を発見して、何を諦めるのか。
最後、
家に戻って、また大人になったパパがすること!
それがちょっと意味深。(笑)
いったい何で!?ってわたしは思ってしまうけど、
もし夫がこの本を読んだら、
やっぱり最後のページでニヤッと笑うかな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

トップページ | 2003年7月 »