« 2003年12月 | トップページ | 2004年5月 »

2004年4月27日 (火)

おぼえていろよ おおきな木


おぼえていろよ おおきな木
佐野洋子 作・絵  講談社

おじさんの家のそばには大きな木が生えていて、おじさんは、その木のおかげで被る些細な被害(鳥が来てうるさいとか、糞を落とすとか)に腹を立て、ついには大きな木を切り倒してしまいます。ところがいざ木を失なってしまうと、初めて、大きな木がいかに自分にとって大切なものだったのかに気付くのでした。

わたしは、おじさんが木を切り倒してしまったあと、自分の浅はかさが招いてしまった喪失感を一生抱えて生きていけばいいんだ、ってちょっと意地悪く思ってしまった。だって、いい大人なんだもの、自分のしたことにやっぱり責任取らなくっちゃ。意固地にずっと「大きな木」を目の仇にしてきたから、そういう目に遭うんだよ、って。でもやがて切り株から新しい命が生まれて来るんですよねえ。佐野さん、優しいなあ、こんな結末にするなんて。実際、自然の懐の深さっていうのは、人間の喜怒哀楽なんて次元を遥かに超えてしまうものなんだろうな。
佐野さんの絵って、取り繕ってないところが大好きです。大人の味、っていうのかな、甘ったるくないの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年4月22日 (木)

『学校ウサギをつかまえろ』


学校ウサギをつかまえろ
岡田 淳 さく・え   偕成社
童話館のぶっくくらぶで『小さいりんご』コースの配本で届いた本です。『小さいりんご』コースというのは一応9~10才向け。数日前から寝る前の読み聞かせで1章づつ読んできて(我慢できずに2章読んだ日もありましたが)、昨夜とうとう読み終えました。

いやぁ、本当に面白かった。言葉、挿画、物語の展開、こんなにワクワクしながら読めた児童書って、もしかして初めてかもしれない。物語は単純明快、学校の飼育小屋から抜け出した一匹のウサギを小学4年生の子たちが捕まえるまでのとびきりシンプルなものなんですが、これが驚くほどとびっきりの冒険物語なんですよね。この物語を読むと、UFOや妖精や地下洞窟といったファンタジックな装置なんて、特別何も必要ないんじゃないかって思えてきます。ごく普通の日常生活の中でこれだけの冒険が描けるんですから。

この物語の最大の魅力は、登場人物の一人一人がとても具体的にイキイキと息づいていること。主人公の恭をはじめ、誰一人キャラクターが被ることなく、この子だったらきっとこう動くだろう、こう喋るだろうという、いい意味で読者を裏切らない。っていうか、これだけそれぞれの性格付けが完成されていたら、むしろ作者の手を離れて、登場人物たちが勝手に動いてくれたんじゃないかっていうくらいのリアルさがあります。
そして、作中唯一の大人である工事現場のお兄さん。この男がまたいい奴なんですよねえ。若いのに、これぞ「大人」の鏡、ってな奴です。わたしたち大人は、こうありたいな、って思えるような人。
こうしてみると、登場人物といい、織り込まれるエピソードの一つ一つといい、展開といい、本当に見事にがっちりと組み合わさって物語が出来上がっています。何一つ無駄がないし、シンプルだし、それでいて最高のものができている凄さ。作者の岡田 淳さんの筆力にただただ脱帽。

我が家は童話館で配本して貰うようになってから今年で11年目になり、そろそろ退会しようかと思ってたんだけど、こうした良質の児童書を紹介して貰えるのなら、やっぱりもうちょっと続けてみようと、前言撤回。(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004年4月13日 (火)

『風の星』  新宮 晋 


風の星
  『風の星』  新宮 晋   福音館書店

新宮 晋さんの3月に出たばかりの新刊です。
どのページも、対象物を真上から見下ろした視点で描かれているところが、なんだか不思議な感覚を呼び起こすんですよね。新宮さんは、この作品で「風の眼を通して見た地球」を描かれたとのことですが、じっくり読んで(眺めて)いると、まるで、自分が鳥になったような、神様になったような感覚・・・。地球上にある有形無形のものを、はるかずっと下に見下ろして、なんと自分の体の、心の、身軽なことか。この軽やかな感覚こそが、「風になる」って言うことなのかもしれません。
ページをめくりながら、波の音、草の揺れる音、砂の舞う音、雨音、動物たちの息づかいなど、風の生み出す音にも耳を傾けていたくなりました。

新宮 晋さんは、造形作家として、世界中の美術館や公園に、風や水で動く立体作品を設置されているそうです。
日本にもあるのかな?もし、近くに新宮さんの作品があれば、是非行ってみたい。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年4月10日 (土)

ママは行ってしまった


ママは行ってしまった
  『ママは行ってしまった』  
  クリストフ・ハイン 作  
  ロートラウト・ズザンネ・ベルナー 絵    
  松沢あさか 訳   さ・え・ら書房


可愛い表紙絵に惹かれて図書館で借りてきた3月の新刊でしたが、内容は、家族の死を扱ったとても重いものでした。家族5人が幸せに暮らしていたある日、主人公のウラのママは病いに倒れ、まもなく死んでしまいます。ウラと二人の兄と彫刻家の父の残された4人はその現実に打ちひしがれてしまいます。しかし、新しい出会いや、家族旅行を通してやがて、ママの不在を受け止め、乗り越え、「未来」を見つめるまでに立ち直っていく物語。


わたしが驚いたのは、パパが、ママの臨終に子ども達を立ち合せなかったこと。「お前達の思い出の中で、ママには生きていて欲しいんだよ。死んだママではなくて。」そう言ってパパは、子ども達にママの遺体を決して見せませんでした。日本では、死にゆく人を見送るために必ず、親しい人は臨終に立ち合います。「死に目にあう」というのは、最後の別れをするために大切な儀式だと思うのですが、そこはお国柄の違いなのでしょうか。(ちなみに、舞台はドイツ)


それから、ママが亡くなって、入れ替わるように物語の核となっていくのが、パパが製作中だったピエタ像です。大司教との親交や、パパがその製作に込めた想い、そして、完成した10トンもの巨大な像を運ぶ旅・・・。後半のピエタ像との関わり合いは、まるで詳細なドキュメンタリーを見ているようです。特に、トラックで数日かけて巨像を運ぶ場面は、以前テレビのニュースで見た、新幹線の車両を一般道を使って搬送した映像を思い出すほど、リアルでした。

  《 いま不幸なのは、いつかとてもしあわせだったせいなのだから。 》

ママの死を受け入れ、ついには、家族で未来を語り始めるラストシーン。あたたかい毛布でくるまれる様な、心地よい読後感にひたれる作品です。
関連記事 → 産経WEB 『ママは行ってしまった』

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004年4月 9日 (金)

『ぼくはへいたろう』の情報

昨日の『ぼくはへいたろう』についての、情報をいただきました。
(Kさん、ありがとうございます!)

こちらに、「こどものとも」とは絵が変わったことの経緯が書かれてあります。→

この情報を教えて下さったKさんもおっしゃってましたが、わたしもビリケン出版でボツになったという第3の作品も読んでみたかったです。大人っぽい「へいたろう」なんて、好奇心をそそられますよね。リンクしたページに一枚だけ、ボツになった絵が載っているんですが、それがなかなか良いのですよ。薄い水彩画ふうで、あっさりしている上に、置石の表情なんて、他の2作品よりもいい味が出てるくらいです。
それにしても、ビリケン出版が、子ども読者をそれほど重視しているとは思っても見なかったなあ。まぁ、この作品に限って言えば、「こどものとも」からの再構成という側面があったからかもしれないですね。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004年4月 8日 (木)

ぼくはへいたろう


ぼくはへいたろう
  『ぼくはへいたろう』 小沢正 / 文   宇野亜喜良 / 絵

以前、ぽんさんのところでおススメされていた、「こどものとも」版とはまた別の『ぼくはへいたろう』です。こっちはビリケン出版から出てるもの。奥付に、《こどものとも1994年8月号を原本として再構成されたもの》と、明記してあります。ふたつを読み比べてみると、確かに文章はまったく同じです。が、絵が、どのページも微妙に違う。こどものとも版は、輪郭をクレヨン(かな?)で太いけれど掠れた感じに描いてあるけれど、ビリケン版は、マジック(かな?)で、濃くくっきりと線を描いてます。その違いからすでに、味わいがまったく異なる。おまけに登場人物の表情や背景の色までも変えてある。はっきり言って、全然別物ですね。なんでここまで変えちゃったのかなぁ。2冊を並べて比較したら、その差は歴然とします。ビリケン版の、なんと色褪せていることか。ホントに、悲しくなるくらい。
これ、福音館書店が、ハードカバーとして出版してくれないことに、宇野さんが業を煮やして、ビリケンに変えちゃったとか、何か裏事情でもあるんでしょうか。じゃないと、あまりにも宇野さんの絵が勿体無いですよ。
果たして、ビリケン出版の担当編集者さんは、どう思ってるのかお聞きしてみたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2003年12月 | トップページ | 2004年5月 »