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2004年5月29日 (土)

『貝の火』 宮沢賢治


貝の火
宮沢賢治 作  ユノセイイチ 画
兎のホモイは、ある日偶然にヒバリの子の命を助けてやる。それに感謝したヒバリの母親が、ホモイの元にお礼として、王様から贈られたと言う宝珠「貝の火」を届ける。「貝の火」とはいったい・・・。

堀江敏幸の『熊の敷石』の中で、主人公が、ユダヤ人の友人ヤンとの間に共有される感情を「貝の火」に例えていたことで読んでみたくなった物語。先日テレビで見た『世界遺産』のモンサンミシェルもそうだったけれど、ひとつの物語を読んで、好奇心の枝葉がどんどん広がっていくことがけっこうある。それも物語を読む幸福の一つだ。

読み終えて一番に思ったことは、この「貝の火」という宝を絵で表わす困難さだ。『熊の敷石』では、「貝の火」のことを、《それじたい触れることのできない距離を要請するかすかな炎》と表現していたが、絵となると色で表現するしかない。この「かすかな火」を如何に描くか、画家として「腕の見せ所」と言うか、この困難さこそが「画家冥利に尽きる」と言うところか。

わたしが読んだこの童心社の『貝の火』は油野誠一氏が絵を担当されているが、「貝の火」を単体で丸ごと捉えたページがある。それはもう、妖しくもどろどろと色や濁りが渦巻く中に気泡が浮かんでいるような霞が漂っているような、なんとも摩訶不思議な珠。まるで珠の中からなにやら浮かび出てきそうな気配を感じるほど。さすが油野氏、素晴らしい表現だと思う。

それにしてもこの物語。
宮沢賢治の作品の中でも教訓的な色合いが濃いそうだけど、読んでみる限りではあまり気にならない。ホモイの凡庸さは、われわれ多くの鏡だし、きっと「貝の火」を長く留め置ける人の方が少ないはずだ。わたしたちはこの先もきっと、ホモイの失敗を何度でも繰り返す。

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