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2004年7月21日 (水)

『あの夏』  ガブリエル・バンサン


あの夏
四季の中で、夏というのは、何故か「死」の影が纏わる。
あれだけ多くの生き物が枯れたように眠ってしまう冬や、感傷的に色付いて行く秋でさえ、「死」はさほど似合うとは思えない。命のあらん限り鳴き続ける蝉や、燃えるように咲く沿道のカンナ、日差しの強さゆえの深い影。そうした夏にしかあらわれないものを拾い集めていくとき、「生命の濃さ」を感じないではいられないのだ。濃いみどり。濃い空気。濃い季節。まるで放物線の頂上を極めた刹那のごとく。そしてその「濃い生命」と背中合わせに在るのが「死」だと思えてならない。それは決して忌むべきものではなく、やがて全てのものに訪れる命の陰り。夏はそんな「死」をその季節の濃さの中に内包している気がする。

アーネストとセレスティーヌの二人にとって大切な人であるガズーの命のともし火が消えかかっている夏、二人はガズーとどんなふうに思い出を紡いでいくのか・・・。

夏の濃い空気を纏った悲しみの物語。
死の間際にいるガズーにさえ、セレスティーヌの愛情をめぐって嫉妬してしまうアーネストの煩悩ぶりにリアリティを感じる。人の欲というのは、とことん悲しいものだ。
バンサンの描く線を見ていると、太い線のところには強い意思が宿っているように見える。それは例えば、アーネストの大きな背中や掌なんかに。絵本で、これだけ「背中」が描かれた作品って、他にあったっけ?

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2004年7月 4日 (日)

『夏のかんむり』 片山令子

夏のかんむりお気に入りのサイトでこの詩集の紹介がされていて、衝動的に買ってしまったのだけど、片山令子さんの使われる言葉が大好きなので、この詩集もわたしにとっては大満足だった。

湿度をたっぷりと含んだ夏の空気と、ノスタルジックな風合い。大人になることの痛みと、悲しみと、諦めと、そして希望。捨てるんじゃなくて「この身に持ち続ける」ことを選んだ少女の澄んだ瞳。片山さんは、きっといくつになっても「オバサン」にはなり得ないように思う。

全部で26編の詩のうち、特に気に入ったのは「くるみの木」「わたしを生んだ土地には今も」「ぐみ」の3つ。どれも植物の瑞々しさにあふれ、季節と共に移ろうその姿に自らを重ねて、わずかな悲しみの実のなる詩。そして、詩と同等に素敵なのが、自身による「あとがき」の短い文章。

手の中に入りやすい軽い本にしよう、と考えたのは、わたしがよく本を持ち歩いて読むからだった。好きな詩集のふちは、みなフェルトのようになっている。詩は地図だと思う。詩のことばそのものは、ただ文字がまばらにならんでいるだけのもの。地図がそこへ行くひとにしか意味がないのと同じだ。でもそこへ行ってみようというひとがあらわれると、地図は急に息を吹き込まれ、きれいに曲がった道や、聖らかな切り通しや、秘められた沼のありかを教えてくれる。


装幀は片山健さん。すべての詩に片山健さんの絵を添えて是非絵本にしてもらいたいものだ。もちろんその時は、線画ではなく、筆の先に滴り落ちるほどの水を含ませた水彩画が良い。


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