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2004年11月27日 (土)

『おいかけて』 

おいかけてこどものとも年少版11月号 『おいかけて』
中脇初枝 文  田中清代 絵

中脇初枝というお名前から、そしてこの作品を読んでみて、きっとずっとずっと年配の方なのだろうと勝手に想像しておりました。なんとまだお若い方でびっくり。写真を見ると感性の豊かそうな美しい目をした女性です。年少版ということもあってか文字は極力少なく、文字だけ追ってみると姉弟の影も形もありません。ほとんどが清代さんの絵によるところが大きい作品と言えるかも。清代さんは中脇さんのこの短い文章から、如何にして姉弟の物語に仕立てていったのか、その製作の過程が大いに気になるところです。やっぱり中脇さんと清代さんお二人面と向かって話し合って決められたのか。それとも中脇さんのわずか数行の文章からこれだけの世界を清代さん一人で考えられたのか。そんなことを想像しながら読むとまた、また違った面から作品を味わうことが出来て面白い。

清代さんおなじみの少し日焼けた紙のような風合いに、お宮の境内や繋がれた牛、天日干しの稲など、ノスタルジックな素材が銅版画で柔らかく描かれています。銅版画って線が細くて神経質なイメージがするものだけど、清代さんの絵は本当に柔らかい。黒猫をおいかけて、草むらの暗やみに迷い込んでいったページでは、清代さんのお好きなルース・ブラウンを思い出しました。この「みうしなったら」のぺーじがこの作品の1番の見どころかな。

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コメント

kiyomiさん、おはようございます。
コメント、どうもありがとう。
こうして反応をいただけるとやっぱり嬉しいなあ。

>『おいかけて』、
田んぼの風景が懐かしいですよね。
今はもうコンバインでさーっと刈っちゃうから、稲があんなふうに足場を組んで干されてる光景はとても珍しくなりました。
子どもの遊び場も、お宮やお寺の境内は格好の遊び場でしたもんね。
夕暮れ時なのに、車のヘッドライトも描かれてないし、いったいいつの時代が舞台なのかしら。


>『がたごとがたごと』の制作秘話、
なるほど~、そうだったのですか、ト書きで注文とはねえ。
と言うことは、文字数だけでは、作品への貢献度は解らないってことですね。(笑)
創る時はどうなんだろう? お互いが実際に面と向かって「あーだこーだ」とアイデアをひねり出すんじゃなくて、文字書きさんがある程度の指示を出してあとは絵描きさんに一任するパターンが一般的なんでしょうかね。
なんだか、リレーみたいで面白いなぁ。


「みうしなったら」のページ、良いでしょう?
清代さんの銅版画は、髪の毛1本1本、草木の葉一枚一枚にまで空気の動きが感じられるのですよね。

投稿: 志生野 | 2004年12月 4日 (土) 07:07

志生野さん、こんばんは。
こっそりとおじゃまします。

図書館で『おいかけて』を見つけて「あっ、これ志生野さんの!」と思わず手にとりました。

子供たちの髪の動きがいいな。それに手と手のにぎりかたが最初と最後では微妙に違うところとか。
志生野さんが見どころとおっしゃる「みうしなったら」のページからは鼓動が聞こえてきそうですね。

内田麟太郎さんと西村繁男さんの『がたごとがたごと』という作品があるのですが、こちらも文章はものすごく少なく絵によるところが大きいと思われがちな作品です。
ところが制作過程では文章とは別に「ト書き」による絵の注文が細かになされていたといいます。

このお二人の作品にも、そんなやりとりがあったのかな~って考えながら読んでいました。
田んぼの風景、なつかしすぎます。牛小屋も近くにあったな~。

投稿: kiyomi | 2004年12月 3日 (金) 21:54

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