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2004年12月21日 (火)

『てんさらばさら てんさらばさら』

てんさらばさら てんさらばさらわたりむつこ 作   ましませつこ 絵  福音館書店

まゆはある日、雪のような白いふわふわとした不思議なものを見つけます。祖母は、それは「てんさらばさら」というもので、おしろいをかければ少しづつ増え、良いことがおこるのだと教えてくれました。しかし誰かに見せるとその効力が失せるのだとも言い、まゆはこっそりと自分だけの秘密の箱に入れ、少しづつ小さな幸せを手にしていくのでした。数年後まゆは18歳になり、かぜたろうと出会って結婚しますが、増えた「てんさらばさら」は・・・。

1983年に「こどものとも」として発行され、今も根強い人気のこの作品が、今月の「特選ライブラリー 」の配本で我が家にもやってきました。不思議な響きの題名が妙に印象に残ってって、いつか読んでみたいものだと思っていたのですが、いざ読んでみると、なんかこうすっきりと腑に落ちない消化不良の読後感が残ってしまいました。その原因はやはりエンディングの迎え方にあるように思えてならないのです。何年もの間、祖母に教わったとおりに、こっそりと自分だけの秘密として大切に育ててきた「てんさばばさら」を、自分の狭量から失くしておいて、言うに事欠いて「そんなものなくったって、おれたち いくらでも しあわせになれるさ。これまでだって そうだったんじゃないか。」と言い放つ夫のかぜたろう。この台詞には心底ぞっとしてしまいました。もしわたしがまゆなら「そんなことあんたに言われなくったってわたしだって解ってる。「てんさらばさら」がなくったってわたしは幸せだった。でも、それとこれとは別なのよ。幼い頃から大事に育ててきたいわばわたしの分身のようなものなのよ!」と叫んでることでしょう。まゆの秘密を包容してやるだけの器が無かった夫、かぜたろう。そして、まゆの「てんさらばさら」を追い詰めた子ども5人がみな男の子というのも、なにやら暗示的のような気がします。まゆはきっと諦めにも似た悲しみを、このエンデイングで噛み締めていたに違いないと、わたしには思えてならないのです。(この作品の感想で、こんなこと言ってるのはわたしくらいのモンだろうな。天邪鬼)

ましませつこさんの絵は、薄紅、紫、桃、朱、藍の色使いがとても好きです。『かあさんのいす』などのベラ B.ウィリアムズの水彩の色使いとどことなく似てるような感じがします。登場人物たちも日本人形に似たお行儀の良い愛らしさを湛えていて、現代ものよりも、昔話や民話に向いてる画風のように思います。

 

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2004年12月10日 (金)

『つくも神』 伊藤遊

つくも神伊藤遊さんの新刊。決して多作な作家さんじゃないけれど、その分、1作1作が練り込まれ丁寧に作られている。まさに職人気質な作家さんだと思う。例えるなら、流行り廃りに無関係な、後世に残る仕事をする「宮大工」のような存在とでも言うべきか。

前作の『ユウキ』同様に現代がまた舞台なんだけど、この作品は単なる「現代もの」ではなく、過去と現在、人と物、マンションと土蔵、子どもと大人、そういった相対するものが巧く絡み合っている。思春期に差し掛かった中学生の兄、団地内での立ち位置の微妙な母、友達5人組の中に真実の友情をなかなか見出せない主人公のほのか、建替えで揺れるマンション内。そういう現実的な問題をリアルに描写しながら、決して違和感なく、「異形のモノ」が登場人物たちの生活線上に現れてくる。読者は伊藤さんの物語の巧みさにどんどん惹き込まれていくのだ。

わたしも、大切に使ってきた「物」は、いつかは「なる」ものだと思う。使う人の気持ちが何らかの結晶となって「物」に残らぬわけが無い。想いはいつか「なる」のだ。ネツケもショウキさまもフロシキもキセルも、そういう意味ではなんといとおしい存在なのだろう。

正直なところ、この物語を読み始めたとき、語尾の「です・ます」調がどうも子供向けって感じで(実際、児童書なんだけど)気に入らなかったし、挿画も漫画チックで安っぽいなあなどとマイナス要素が気になったのだけど、読み進むうちに、ストーリー以外のことはどうでもよくなってしまった。特にネツケの挿画は、この岡本順さんしかいないと思えるほど気に入った。表紙絵の黄色い学童傘を大事に抱えるネツケの姿は、この物語を読んだ人ならきっと、撫でてやりたいくらいいとおしいと思うはず。

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