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2005年4月27日 (水)

『びりっかすの神さま』

びりっかすの神さま岡田淳 作・絵  偕成社
この作品を読み終えて思うのは、現役の小学校教師である岡田さんがよくぞこれを発表したなぁということ。児童文学ながら一歩間違えれば現場批判に成りかねない問題作だとわたしは思う。もし今実際に教師をなさっている方々がこの物語を読んだら、作中で過度に成績を重視する担任教師の学級運営を「ありえない」と一言で片付けてしまうかもしれない。が、あの担任教師だっておそらく「児童のためを思って」という大義名分を掲げているのではないか?「児童のため」ならば競争を促し、一歩でも他者より抜きん出ることを推奨するのではないか。岡田さんは、そんな教師の誰もが陥りやすい罠をさらりと皮肉りながら、理想と現実の狭間で揺れ惑う教師の姿をも浮き彫りにしていると思う。

4年生の木下始は父親を亡くしてお母さんと二人で暮らすために転校する。ところが転校先のクラスは教室の座席が成績順になっていた。勉強に限らず運動も給食を食べる早さまでもが競争というクラス。そんな教室で、始は信じられないものを目にする。それが「びりっかすさん」との出会いだった・・・。

この物語の感想を「読書感想文」的にまとめるなら、「1番になるために、他人より抜きん出るために頑張るのではなく、自分の持てる力の全てを出し切るために努力することがいかに大切なのかよく分かりました。」といったところか。まぁそのあたりの優等生的感想文は読者層である児童たちに任せるとして、大人であるわたしは、そんなきれいごとでこの物語を片付けたくはない。
現実問題として、頑張ろうが頑張るまいが「学校」においては順位はあらゆる場面で付きまとう。もし本気で頑張りさえすればまったく成果が上がらなくても満足なのか、と言えばそれは甚だうそ臭い話になってしまう。それは社会においても言えることで、競争の名の下に価格の低下や製品精度の向上という恩恵を被りながら、一方では自分達の人生を重苦しいものにしてしまってもいる。
岡田さんは、そんな「矛盾」を描きたかったのではないか。理想と現実、本音と建前。人はいつもその間を揺れ惑う。「びりっかす」の正体を岡田さんがあのように設定したのも、そんな人間の揺れる気持ちを具象化したかったのではないか。

と、いつもながら、本筋から離れた感想になってしまいましたが、これから読む方には、ラストの思いがけない展開をたっぷりと味わってほしいものです。

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