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2005年5月13日 (金)

「うたうしじみ」

うたうしじみ児島なおみ 作
年寄りの魔女がある日、夕食に食べようとしじみを買って来ました。砂を吐かせるためにボールに水をはっていれておくと、ボールの中からプチプチ・ゴソゴソ音がしてきました。見ると、しじみたちがそれは気持ち良さそうにいびきをかきながら眠っています。その安心しきった様子に、魔女はつい可哀相になって食べるのを止しました。あくる晩、しじみたちが騒ぎ出したので、魔女が理由を尋ねると、しじみたちは海へ帰りたくてたまらないというのです。海までかなりの距離があるために汽車に乗らなければ行けません。その上魔女は貧乏で汽車賃が出せませんでした。そこで汽車賃を稼ぐ為に、魔女が思いついたのは・・・。
未晒しの、少し黄ばんだような紙に、えんぴつ1本(のように見える)で、細い線で丹念に描かれたイラスト。素っ気無いほどさらりとしたスマートさと、にじみ出るユーモア。そのアンバランスさが、この絵本をとてもセンス溢れるものにしています。ページの中に所狭しを描き込まれた魔女の家のインテリアや小物たちも、まるでファッション雑誌の切り抜きみたいにオシャレで女性好みなのに、決して甘さはありません。か細い線ですが、丹念に描き込まれた真面目さが、場面をきりりと引き締めているのです。また、キャラクターの設定も、年を取って角が取れ丸くなってきた魔女といい、関西弁を話す 現実主義のネコといい、歌うのがしじみといい、ちょっとシニカルで、且つユニークです。特に、わたしはネコのトラジがお気に入り。しじみを食べようと2晩も待ったあげくに情が移って食べられなくなってしまい、魔女にむかって「わしらはアホや」と言う台詞が大好きです。これは、絶対に名台詞!(笑)
作者の児島なおみさんは、幼少時代と大学生活をアメリカで過ごされたそうで、日本人離れしたセンスも、その経験から生まれているのかもしれないですね。

*2005年4月に偕成社より復刊されました。

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「バレエをおどりたかった馬」

バレエをおどりたかった馬H・ストルテンベルグ 作   さとうあや 絵   菱木晃子 訳
田舎で暮らしている馬が、あるとき偶然に旅のバレエ団に出会いました。バレエ団の一行は道に迷っていたので馬が駅までの道を案内してやります。その馬の親切に対してバレエ団の人々はお礼にバレエを見せてやりました。ところが、これまで田舎でしか暮らしたことにない馬にとって、楽団による美しい音楽と鳥のような軽やかな舞いは生まれて初めての体験だったので、もうすっかりバレエに夢中になってしまった馬はバレエを忘れることができず、とうとう町に行く決心をします。友だちのブタ、ヒツジ、めんどりに見送られ、汽車に乗って町へと旅立った馬。なんとか町にたどり着きますが、あまりの都会ぶりに右往左往してしまいます。しかし、偶然出会った口の悪いオウムに助けられ、なんとかバレエ学校を見つけ、その熱意で入学を許可されるのでした。また、偶然新聞広告で見つけて、昔町のオーケストラでピアノを弾いていたクローネという女性の家の部屋を借りることができました。こうしていよいよ馬のバレエ修行が始まりますが・・・。
いやはや、なんと読後感の気持ちの良い1冊でしょう。 わたしは「癒し系」と目される企画モノの本が大の苦手ですが、この作品は、そんな部類に属することなく、読む人のココロを深く温かく包んでくれます。
バレエに目覚めたのがよりによって馬という、この奇想天外さもさることながら、物語のなかでは、彼(馬)と出会う人は皆、その点に関して驚きもせず ( たまには嫌な人も出て来ますがオウムが鋭いツッコミをいれて助けてくれます。) に彼を受け入れていくのです。それはひとえに馬がとーっても素直で正直ないい奴で、バレエに対して人一倍一生懸命だからなのです。根が単純と言ってしまえばそれまでですが、純粋というか、ひたむきに頑張る馬は、ある意味、とても愛しい。また、人生をリタイアしたようだった大家さんやその音楽仲間たちが、馬に触発されて、再び音楽を身近な楽しみとして再発見し、人生を味わい深いものに変えていく様も、読んでいてとても好ましいのです。
さとうあやさんの、飄々としたシンプルで温かいイラストがまた、馬のすっ呆けた雰囲気によくマッチしていて大好きです。 わたしはお名前を拝見するまで、この挿絵は海外の画家さんだろうと思っていました。

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「おじいさんのハーモニカ」

おじいさんのハーモニカヘレン・V・グリフィス作  ジェイムズ・スティーブンソン絵  今村葦子 訳
ジョージア州の線路沿いの小さな家に、おじいさんは1人で住んでいました。おじいさんは、冬の間は半端仕事をしたり、汽車が行き来するのを眺めたりして過ごし、春が来ると畑仕事に勤しみます。ある夏のこと、おじいさんの孫娘がやってきて、ひと夏を共に過ごすことになりました。しかしおじいさんは、これまでのペースを崩すことなく、自分の生活の中に孫娘を受け入れてやります。同じように農作業をし、同じように木陰でお昼寝をし、同じように虫の鳴き声に耳を傾け、同じようにハーモニカを吹いたり歌をうたったりしました。そんな生活を孫娘はすっかり気に入るのでした。翌年の夏、再び、おじいさんのもとにやって来た孫娘は、小さな家とおじいさん本人の変貌に驚きます。おじいさんは、病気になっていたのです・・・。
ジェイムズ・スティーブンソンの線画、たまらなく好みなんです~。クエンティン・ブレイクや、サイモン・ジェームズといった、気負いが無く、勝手気ままに線が突っ走ってる絵 って見てて気持ちいいんですよね。線の上に申し訳程度に塗られた淡い水彩絵の具も、自己主張せずにそののびやかな「線」を生かしてくれています。要は 、わたしってこうした「あっさり系」が好きなのかも。(笑) 
で、物語に戻りますと、まず最初に「あれ?」と思うのが、何故女の子のお母さんは娘をたった1人でこのおじいさんの家に1ヶ月も預けることにしたのかということなんです。理由は具体的に書かれていませんが、普通1ヶ月も年端も行かない娘をおじいさんに預けるというのは母親としてそれ相当の理由があるはずです。もしかしてそのあたりのことが、孫娘の気持ちに微妙に関係しているかもしれません。
しかしおじいさんは詮索もせずに取り立てて子供向けに目新しいことをするでもなく、それまでの自分の生活のペースの中に孫娘を受け入れてやります。孫娘も母親やわが家を恋うことなく、おじいさんとの毎日を楽しんでいくんですよね。きっと孫娘はおじいさんとの日々が性に合ったのでしょう。
しかし、2人がジョージアでの生活をとても気に入ったことがきっちりと描かれているからこそ逆に、後半のおじいさんの老いに対して読み進む辛さをもたらします。人間のどうしても避けて通ることのできない「老い」。孫娘も、その「老い」に対して、おじいさんと一緒に向き合います。おじいさんを1人にしないで・・・。それは、自分もかつてジョージアで、おじいさんにそうして貰ったからからなのかもしれません。孫娘にはおじいさん、おじいさんには孫娘がいて本当に良かった。ラストの『でしゃばり小僧め」という2人の台詞が キーワードとなって、とても温かく心に響いてきます。

*画像は洋書版です。

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「ふしぎなバイオリン」

ふしぎなバイオリンクエンティン・ブレイク 文・絵    谷川俊太郎 訳
ある日、パトリックはバイオリンを買いに町に出かけました。露天はいろんなお店がいっぱい並んでいてとても面白そうでしたが、パトリックが目指したのは、真っ直ぐオニオンズさんの店。そこは誰も欲しがらないガラクタがいっぱい並んでいます。パトリックはその店で、ちょうどいっちょうあったバイオリンを、なけなしの銀貨で買いました。ところが、パトリックが喜び勇んでそのバイオリンを弾き始めると、なんと次から次へと不思議なことが起こりが始めて・・・。
原題が「PATRICK」とあるように、もしかしたら不思議なのはバイオリンではなくパトリック本人だったのかもしれない、そんな印象を抱かせる物語です。彼がバイオリンを奏でるたびに、魚が空を飛んだり、りんごの木にお菓子やアイスクリームが なったり、病気の男の人が元気になったりしますが、そういう魔法みたいなことも、パトリックにかかるとしごく当たり前のような気がしてくるのは、やはりブレイクの絵のなせる技でしょう。ブレイクの描く主人公はいつもどこか 、何ものにも囚われない 吟遊詩人みたいな肩の力の抜けた自由奔放さを感じさせます。わたしはパトリックの風貌から、ほんのちょっと『ムーミン』のスナフキンを連想してしまいました。(笑)  またこの作品のもう1つの見どころは、その色遣いです。もしパトリックが奏でるメロディが目に見えるとしたら、きっとこんなに、カラフルで楽しげな色が溢れていることでしょう。ページをめくるたびに、子どもたちの笑い声が聞こえて来そうな、そんな幸福な1冊です。

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「うたいましょうおどりましょう」

うたいましょうおどりましょうベラ・B・ウィリアムズ 作・絵   佐野洋子 訳
いま、おばあちゃんは病気で、寝たきりです。学校から帰ると、わたしもすぐにおばあちゃんのところへ行って、「なにかすることある?」と尋ねます。けれどもどうしても病気の治療にはお金がかかってしまい、お母さんもそのために働き詰でした。どうしたらおばあちゃんのためにお金が稼げるのか、友達のレオラとジェニーとメイと一緒に考えて、みんなでおばあちゃんのために音楽会を催すことを思いつきました。欲しくて欲しくてようやく買ってもらったアコーデイオンをわたしが弾き、レオラが太鼓、メイはフルート、ジェニーがバイオリンを弾いて、小さなバンドを結成し、仕事を募ったのでした。そして、とうとう初めての依頼がきて・・・。
かあさんのいす 』『 ほんとにほんとにほしいもの 』に続く、下町で女ばかり三人暮らしの一家が力を合わせて生きる様子を描いたロングセラー3部作です。この3部作を読んで、 わたしの1番の印象は、『母性』を描いた作品だなぁということ。ベラ・B・ウイリアムズの水彩画は、輪郭を大げさなまでに滲ませることで、互いの境界線 を曖昧にし、まるで何もかもを包み込んでしまうような包容力を感じさせます。また、派手とも言えるような華やかで陽気な色彩は、まさに、幼い頃の母の思い出のような懐かしさ に通じるのです。この3部作は、そういう意味で「母性」を内包したシリーズだとわたしは思っています。きっと、訳を佐野洋子さんが担当なさっていることも、「母性」の印象を強くする大きな要因になっている のでしょうね。 家族のきづな、親子愛、自立心、友情、いろんな感情が主人公を1歩づつ1歩づつ成長させていきます。主人公達の小さなバンドが無事パーティーでの演奏を成功させて世代を越えて皆がダンスを踊るシーンは、なんだか大らかなイタリア映画をみているようで、大好きな場面です。

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「ベンのトランペット」

ベンのトランペットレイチェル・イザドラ 作・絵    谷川俊太郎 訳 
夜、ベンは非常階段に座って、ジグザグ・ジャズ・クラブから聴こえて来る音楽に耳をすませます。特にトランペットの音がお気に入りで、自分でも吹いているつもりになって熱中し、疲れ果てて暑苦しい夜などはその場で眠ってしまうほどです。学校の帰りも、ジャズクラブを覗いて、ミュージシャンが練習するのを見守ります。いつのまにか、日々の生活の中で、ベンはいつもトランペットを吹いているような気になっていました。そんなある日、ジグザグ・ジャズ・クラブのトランペッターが、ベンが吹いている気分になっている時に「いかすラッパじゃねえか」と声をかけてくれたのです! ベンはすっかりその気になってしまいます。ところが、ベンがトランペットを吹くジェスチュアをしている姿を見た他の子ども達が「ばっかじゃねぇか!」と、ベンのことを笑いものにしてしまいました。  口惜しさと悲しさでいっぱいのベンは、ジグザグジャズクラブの戸口に座り込んでしまいました。そんなベンに、トランペッターが近付いてきて・・・。
いやぁ~、もう驚きの絵本です。とにかくページをめくってみて下さい! 
こんなかっこいい絵本は見たことがありません。自分がジャズに疎いことが本当に残念です。もしわたしが、せめてルイ・アームストロングやマイルス・ディビスなんかの有名どころの演奏を聴いた事 があったなら、きっとページをめくるたびに素晴らしい音色も一緒に鳴り響いたことでしょう。
見開きからいきなり始まる折れ線グラフのようなギザギザの線。まるで雷鳴を表したような線。表紙を開いたとたんすでにモダンジャズの演奏が始まっているかのように、その線は続いていきます。そして物語が始まると、細部までまるでミクロの単位で描き込まれたかのような線と点。それが時には繊細に、時には大胆に、演奏さながら展開していきます。ああ、きっとジャズを絵にしたらこんな感じになるのかなぁ。 また人間の描き方、構図が実にかっこいい!! 何気ない仕草が、見事にスイングしています!
えーっと、絵の凄まじさに見とれてばかりじゃ勿体無いですね。ストーリーも実に素晴らしいのですから。 こどもが成長していく過程において、その途中で生まれる向上心や好奇心をいかに上手く掬い上げてやれるかどうかということが、大人の務めだということ。それをしみじみ感じます。また、こどもにとっても好きなことをとことん突詰めることの意義。これも考えさせてくれる物語です。
ああ、やっぱり、そんな小難しいことはこの際置いといて、とにかくこのかっこいい絵を見て欲しい!これは、ジャズと同じように「感じる」ことこそ大切な絵本だと思いますから。

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「バラライカねずみのトラブロフ」

バラライカねずみのトラブロフジョン・バーニンガム 作    瀬田貞二 訳
ねずみのトラブロフは、夜毎、酒場でジプシーの楽士たちが奏でる演奏に聴き惚れていました。あるひ、あんまりトラブロフが熱心に聴いているので、ねずみの仲間がバラライカを作ってくれました。バラライカとはギターの一種で、ロシアの民族楽器です。トラブロフは念願叶って手に入ったバラライカの練習に励みますが、なかなか上達できません。とうとう、ジプシーたちの旅に同行して、楽士たちからバラライカの手ほどきを受けようと決心します。ジプシーが旅立つ夜、家族に黙ったまま、トラブロフも修行の旅に出かけて行くのでした・・・。
バーニンガムさんの、ごく初期の作品です。
まるで毛筆で描かれたような、勢いと迫力のある太い輪郭。なぐりがきのような、荒々しい色の塗り方。『ガンピーさん』シリーズの繊細な絵とは正反対な、ロシアの荒涼とした土着の風合いを感じさせます。特に、赤色(朱色)をページの半分以上に塗りたくった夕日の場面。血が滲んでいるような夕焼けの空を背景に、旅を続けるジプシー達のシルエットが醸し出す寂寥感は、絵本の醍醐味をたっぷりと味わえるシーンです。
さて、主人公のトラブロフ。バラライカという楽器に目覚め、惚れこみ、こだわり、そしてそれを得とくするために旅立って行く様は、なんと清々しくも頼もしい「少年の自立」でしょうか。性差は関係無いとは思いながらも「これが男だ!」と拍手を送らずにはいられません。人はこうして大人になっていくのですよね。
ところで、トラブロフとはまた違った意味でとっても気に入ったのが、彼の妹です。おかあさんねずみが病気になったことを知らせるために、道なき道を、吹雪の中、1人でトラブロフを迎えに行く行動力をみると、トラブロフ以上の強い精神力を備えていると言っても過言ではありません。現に、2人が家路につくまでの旅は困難を極めます。妹は、これだけの道を1人でやって来たのですから、まさに「女は強し」です。その妹のおかげで、家族が幸せに暮らしていけることになるのですから、もしかしたら彼女は、この物語の影の主人公と言えるかもしれませんね。
 

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「すてきなよるに」

すてきなよるにヴォルフ・エァルブルッフ 作   上野陽子・訳
ある夜のこと、自分に自信の無い者たちが、偶然にも満月の明りに促されるように、橋の下で出会いました。ヒキガエルは、自らを嫌悪するほど醜いと思っていましたし、コウモリ・ドブネズミ・クモ・に到っては、自分を嫌われ者だと半ば開き直り、悪態をつく始末です。ところが、後からやって来たハイエナが、さんざんからかわれたあとで皆に向って言うのです。「カッコ悪いとか、きれいだとか、人がどう思おうがぜんぜん関係ない。大切なのは何をするかだ! 何かをするべきだよ!じぶんのために。そして、人のために!」そう言って、サクソホーンを吹き始めると、その見事な音色に、皆はこれまでからかっていたハイエナのことを、いつのまにか好きになっていました。そして、ドブネズミはウクレレを、クモは歌を、コウモリは口笛を吹いて、サクソホーンの合わせました。そうして、とうとうヒキガエルは、我慢できずに言うのです。「わたしはパンケーキが焼けるの!」と。 5匹は、音楽とパンケーキの店を始める計画を思いつきました!・・・。

満月の夜、橋の下、という舞台に、1人また1人と登場人物たちが集まってきて、台詞をまわしていく進行は まるで演劇を見ているような感覚のする絵本です。場面はずっと同じ橋の下で、台詞だけがどんどん絡み合って、登場人物たちの気持ちが変化していく様子は、さながら心理劇といったところでしょうか。自分に自信の無い者たちが、音楽をきっかけに繋がっていき、未来への希望を見出していく・・・。この『すてきなよるに』という題名がなんともピッタリくるじゃありませんか。
登場人物たちは、お世辞にも美しいとは言えませんが、黄土色や赤茶色の茶系の色鉛筆でシンプルに描かれてユーモアに溢れ、尚且つ、あくの強い存在感を示しています。
作者のヴォルフ・エァルブルッフはドイツの方ですが、かなりの日本通のようで、作者紹介を読むと、狼沼樹という邦名もお持ちのようです。作中で、ヒキガエルが襦袢を着て草履を履き、パンケーキの店には提灯がさがっているのもそのせいでしょう。その和洋折衷がまた、この作品の主題を暗に物語っているのかもしれません。

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