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2005年7月21日 (木)

おじいちゃんがおばけになったわけ

おじいちゃんがおばけになったわけキム・フォップス・オーカソン 文   エヴァ・エリクソン 絵
菱木晃子 訳    あすなろ書房
エヴァ・エリクソンさんのお馴染み色鉛筆画に惹かれて読んでみました。この人の描く絵は、本当に柔らかい。温かい。穏やか。それでいてユーモアがたっぷりと含まれています。色鉛筆という画材が身近なものだから、読み手も肩の力を抜いてフランクに向き合えます。高尚さはないかもしれないけど、その分、慣れ親しんだ安心感があります。

おじいちゃん子だったエリックは、おじいちゃんの死に目にあえなくてしょんぼり。そんなエリックのもとに、死んだはずのおじいちゃんが夜な夜な訪ねて来るようになりました。おじいちゃんは、この世に何か大きな忘れ物をしたせいで戻って来たというのです。おじいちゃんの忘れ物とはいったい何なんでしょう・・・?

物語としては、ユーレイになったおじいちゃんとエリックの交流という単純で分かり易いものなんですが、わたし的に気になる箇所を1つ。
エリックが「おじいちゃんが毎晩やって来る」と両親に告げたところ、両親はそれをエリックの錯覚・夢だと片付けてしまうんです。おまけに、おじいちゃんが死んじゃったことのショックから立ち直れないのだろうと勝手に結論付けて学校まで休ませてしまうんですよね。この両親の対応はないだろーと思ってしまいました。だって、おじいちゃんは自分たちにとっては「親」ですよ。そしたら、エリック以上に会いたいと思うのではないでしょうか。せっかくエリックが「毎晩来てるよ」って教えてくれたのだから、わたしだったら一緒に会おうとすると思うのだけど。
察するに、この両親はエリックの話を聞く気が無いと言うか、聞く耳を持ってないってことです。どうせ子どもの戯言くらいにしか思えないということは、エリック自身を軽んじてることにも繋がる気がします。そんなだから、エリックがおじいちゃん子になってしまうんだよ、なんて思ってみたり。(そんなに悪い親ではないのですが)

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2005年7月 2日 (土)

『チョコレート工場の秘密』

チョコレート工場の秘密ロアルド・ダール/作   クエンティン・ブレイク /絵
優等生の読書感想文なら、《 チャーリーは貧しくてもお利口だったので、ワンカさんの大チョコレート工場を貰うことが出来ました。あんな大工場を貰えて、チャーリーが羨ましいです。 》なーんてことを書かなくっちゃいけないんだろうな。もっとも、黄金切符が当るまでのチャーリー(バケツ一家)の極貧ぶりは凄まじかったし、あのままだったら家族7人いずれ飢え死にしていたのは間違いない。そういう状況下でのワンカ氏の申し出は、天の助けに他ならないのだけれど、だからと言って果たして諸手を挙げて喜んで良いんだろうか。

わたしは正直、この物語が怖かった。黄金切符が当った5人の子ども達のうち、4人までがとてつもない酷い目に遭う。チョコレートの川に落ちた挙句にガラス製の管に吸い込まれたり、全身ブルーベリーになって除ジュース機で絞られたり、焼却炉に続くダストシュートに落とされたり、電波状に分解されて3センチほどの小人にされてしまったり。クエンティン・ブレイクがすっ呆けた挿画を添えているので漫画っぽく面白おかしく読めるけれども、一歩間違えればホラーにも成りかねない。

おまけにワンカ氏は、酷い目に遭った4人の子ども達を自己責任とばかりに冷たい扱いをする。ウンパッパ・ルンパッパ人たちも奴隷同然。住むところを奪っておいて工場で働かせ、人体実験にまで用いる。工場で作っているお菓子だって、ワンカ氏の好奇心の産物ばかりで、決して世の子ども達のために作っているわけではない。考えれば考えるほど、このワンカ氏という男は不気味な存在なのだ。

ところがチャーリーは、そんなワンカ氏の従順な跡継ぎとして白羽の矢が当ったことを大喜びする。ここが解せない。ホントにこんな工場が欲しいのか? ほんとにワンカ氏の跡継ぎなんかになりたいのか? ウチの子たちは3人とも口を揃えて「いやだ」と言ってたよ。40年前の子ども達なら大喜びしたんだろうか。実際に、この作品はどんなふうに読んだら正しいんだろう? (正しい読み方なんてあり得ないのを解かって言ってみる) わたしの希望としては、チャーリーには、この巨大な工場を手に入れたあかつきにはワンカ氏を排除するくらいの野心を持って欲しいよ。

もうじき映画も公開されるが、この物語がどんなふうに解釈されたのか、じっくり観てみたい。


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