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2005年11月29日 (火)

プーヤ・ライモンディ

たくさんのふしぎ 2005年8月号「プーヤ・ライモンディ」野村哲也 文・写真
たくさんのふしぎ 2005年8月号  福音館書店

ペルーのアンデスの山中に、100年にいちどだけ咲く、プーヤという花があるという。その花を求めてでかけた写真家が、4,000メートルを超す高地で出会った少女アンの家は、なんと、プーヤでできていました。大きな木があたりにないため、プーヤは生活になくてはならない植物だったのです。写真家と少女の家族の心温まる交流の物語。  《 福音館書店解説文より 》

最初は、「100年に1度しか咲かない花」というプーヤへの好奇心から読み始めたんですが、それがいつの間にか、アンデス山中の暮らしぶりの方へ感心が移って行ってました。4000メートルもの高地で、現代のワタシ達からすれば「ほとんど何も無い」ような暮らしを営むアルビーノさん一家。そしてそんな彼らの中にするりと入り込んでいく写真家の中村哲也氏。彼の文章を読みながらいつの間にか思い出していたのは故・星野道夫さんでした。もしかして星野さんに影響を受けて写真家になったのかなぁ・・・。
ワタシが中村さんに好感を持ったくだりは、

見知らぬ家に泊めてもらうとき、ぼくがいつも心がけていることがある。だされた食事は、残さす食べること。食後の洗い物は、かならず自分ですること。

郷に入っては郷に従えという相手を尊重する心は、日本人・外国人に関係なく人間同士の基本のように思う。写真に添えられた文章も淡々としているのに温かい。きっと中村さんも星野さん同様に素敵な写真家さんなんだろうな。これからの活躍にとっても期待してます!
垢を日焼け止めクリーム代わりにするアンデスの人々がいかに乾燥した場所で暮らしているか、中村さんの写真からもその乾いた空気が伝わってくるようです。アルビーノさん一家の顔写真がそれぞれにホントに味わい深い。氷河のトンネルはまるで近未来映画のセットみたい。それにしても、プーヤって「花」というよりも「木」「樹」みたいだよなぁ。いや、むしろサボテン? 1つ1つの花は小さくて可愛らしいけれど、プーヤとしての形状はあまりロマンティックなもんじゃないのがちょっと残念。


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2005年11月17日 (木)

ケルトとローマの息子

ケルトとローマの息子ローズマリ・サトクリフ 著   灰島かり 翻訳
ついにワタシもサトクリフ初体験。児童書好きの方々の間で常に人気の高いこの作者の物語をワタシもようやく味わうことが出来ました。いやぁ、素晴らしかった!圧倒的な筆力にただただ憑かれたようにページをめくるのみ。読み終えてすぐにサトクリフの他の作品も読みたくなって、図書館に走ったのは言うまでもありません。

紀元2世紀のローマ帝国時代、ブリテン島の辺境で主人公のべリックは難破船から奇跡的に助け出され、ケルトの戦士として育てられる。ところが成長し一人前として認められる目前に、部族に立て続けに不幸が襲い、ローマ人の血を引くべリックはその不幸の原因と見なされ、部族を追放されてしまう。打ちひしがれながらもローマ人としての誇りを胸に一路ローマを目指す。そんな少年べリックを待ち受けていたのは、想像を絶する過酷な運命だった・・・。

なにせローマ帝国時代の物語なんてまともに読んだことのないワタシが、いきなり放り込まれた世界だったので場面を想像するにも知識が足りない。つい『ヒストリエ』と『ヴィンランド・サガ』を足して2で割ったようなイメージを抱きながら読んでました。どちらも時代や地理がてんで異なることは百も承知ですが、当時の奴隷の過酷さや船の様子、部族で生きる戦士としての厳格さなんかはイメージとして使えたかも。

それにしても、主人公べリックを次々に襲ってくる試練は凄まじい。これでもかこれでもかとべリックの人間としての尊厳を踏み付けて行きます。生き地獄とはこんな状態を言うのか。希望に満ち溢れていたところに謂れの無い罪を被されて人の世の全てに絶望してしまう主人公が辿る物語は、山本周五郎の『さぶ』を思い出します。

ところがどんな絶望の淵にあっても、僅かな希望の光としてべリックを支えてくれる人々が現れます。奴隷時代にはルキルラ、逃亡中にはロドペ、ガレー船ではイアソン・・・。部族を追放されて以来自分を排除してきた「人間」に何の期待も抱けなくなったベリックが、心の支えとしたのはやっぱり他ならぬ「人間」だったということが唸らされます。

そして、べリックが命からがらに辿り着いた湿原で彼を迎え入れてくれた土木技師である百人隊長ユスティニウス。彼がまたとてつもなく魅力的な男なのです。浅黒く引き締まった顔に、北の海の色のような澄んだ灰色の目。都での地位や名声よりも土木技師としての誇りを持って湿原での暮らしを選び、失くした妻子を未だに愛する男。ベリックとはまるでお互いの欠けた部分を埋め合わせるピースのような存在。もし血が繋がっていることが親子の証というのなら、魂の繋がった彼らをなんと呼ぶのが相応しいか。ベリックの長く苦しい旅の果てにユスティニウスが待っていてくれたことで、ワタシもベリックと同様に深く満たされた思いで本を閉じることが叶いました。充足の1冊。

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