2004年12月10日 (金)

『つくも神』 伊藤遊

つくも神伊藤遊さんの新刊。決して多作な作家さんじゃないけれど、その分、1作1作が練り込まれ丁寧に作られている。まさに職人気質な作家さんだと思う。例えるなら、流行り廃りに無関係な、後世に残る仕事をする「宮大工」のような存在とでも言うべきか。

前作の『ユウキ』同様に現代がまた舞台なんだけど、この作品は単なる「現代もの」ではなく、過去と現在、人と物、マンションと土蔵、子どもと大人、そういった相対するものが巧く絡み合っている。思春期に差し掛かった中学生の兄、団地内での立ち位置の微妙な母、友達5人組の中に真実の友情をなかなか見出せない主人公のほのか、建替えで揺れるマンション内。そういう現実的な問題をリアルに描写しながら、決して違和感なく、「異形のモノ」が登場人物たちの生活線上に現れてくる。読者は伊藤さんの物語の巧みさにどんどん惹き込まれていくのだ。

わたしも、大切に使ってきた「物」は、いつかは「なる」ものだと思う。使う人の気持ちが何らかの結晶となって「物」に残らぬわけが無い。想いはいつか「なる」のだ。ネツケもショウキさまもフロシキもキセルも、そういう意味ではなんといとおしい存在なのだろう。

正直なところ、この物語を読み始めたとき、語尾の「です・ます」調がどうも子供向けって感じで(実際、児童書なんだけど)気に入らなかったし、挿画も漫画チックで安っぽいなあなどとマイナス要素が気になったのだけど、読み進むうちに、ストーリー以外のことはどうでもよくなってしまった。特にネツケの挿画は、この岡本順さんしかいないと思えるほど気に入った。表紙絵の黄色い学童傘を大事に抱えるネツケの姿は、この物語を読んだ人ならきっと、撫でてやりたいくらいいとおしいと思うはず。

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2004年11月27日 (土)

『おいかけて』 

おいかけてこどものとも年少版11月号 『おいかけて』
中脇初枝 文  田中清代 絵

中脇初枝というお名前から、そしてこの作品を読んでみて、きっとずっとずっと年配の方なのだろうと勝手に想像しておりました。なんとまだお若い方でびっくり。写真を見ると感性の豊かそうな美しい目をした女性です。年少版ということもあってか文字は極力少なく、文字だけ追ってみると姉弟の影も形もありません。ほとんどが清代さんの絵によるところが大きい作品と言えるかも。清代さんは中脇さんのこの短い文章から、如何にして姉弟の物語に仕立てていったのか、その製作の過程が大いに気になるところです。やっぱり中脇さんと清代さんお二人面と向かって話し合って決められたのか。それとも中脇さんのわずか数行の文章からこれだけの世界を清代さん一人で考えられたのか。そんなことを想像しながら読むとまた、また違った面から作品を味わうことが出来て面白い。

清代さんおなじみの少し日焼けた紙のような風合いに、お宮の境内や繋がれた牛、天日干しの稲など、ノスタルジックな素材が銅版画で柔らかく描かれています。銅版画って線が細くて神経質なイメージがするものだけど、清代さんの絵は本当に柔らかい。黒猫をおいかけて、草むらの暗やみに迷い込んでいったページでは、清代さんのお好きなルース・ブラウンを思い出しました。この「みうしなったら」のぺーじがこの作品の1番の見どころかな。

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2004年4月10日 (土)

ママは行ってしまった


ママは行ってしまった
  『ママは行ってしまった』  
  クリストフ・ハイン 作  
  ロートラウト・ズザンネ・ベルナー 絵    
  松沢あさか 訳   さ・え・ら書房


可愛い表紙絵に惹かれて図書館で借りてきた3月の新刊でしたが、内容は、家族の死を扱ったとても重いものでした。家族5人が幸せに暮らしていたある日、主人公のウラのママは病いに倒れ、まもなく死んでしまいます。ウラと二人の兄と彫刻家の父の残された4人はその現実に打ちひしがれてしまいます。しかし、新しい出会いや、家族旅行を通してやがて、ママの不在を受け止め、乗り越え、「未来」を見つめるまでに立ち直っていく物語。


わたしが驚いたのは、パパが、ママの臨終に子ども達を立ち合せなかったこと。「お前達の思い出の中で、ママには生きていて欲しいんだよ。死んだママではなくて。」そう言ってパパは、子ども達にママの遺体を決して見せませんでした。日本では、死にゆく人を見送るために必ず、親しい人は臨終に立ち合います。「死に目にあう」というのは、最後の別れをするために大切な儀式だと思うのですが、そこはお国柄の違いなのでしょうか。(ちなみに、舞台はドイツ)


それから、ママが亡くなって、入れ替わるように物語の核となっていくのが、パパが製作中だったピエタ像です。大司教との親交や、パパがその製作に込めた想い、そして、完成した10トンもの巨大な像を運ぶ旅・・・。後半のピエタ像との関わり合いは、まるで詳細なドキュメンタリーを見ているようです。特に、トラックで数日かけて巨像を運ぶ場面は、以前テレビのニュースで見た、新幹線の車両を一般道を使って搬送した映像を思い出すほど、リアルでした。

  《 いま不幸なのは、いつかとてもしあわせだったせいなのだから。 》

ママの死を受け入れ、ついには、家族で未来を語り始めるラストシーン。あたたかい毛布でくるまれる様な、心地よい読後感にひたれる作品です。
関連記事 → 産経WEB 『ママは行ってしまった』

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2003年10月 9日 (木)

『子どもに作ってあげたい料理』

子どもに作ってあげたい料理  『子どもに作ってあげたい料理』

柴田書店の料理の本って、ホント、写真が良いですよねえ。
普通の生活の中で、何気に写されたスナップ写真のような、生成りの風合いの写真たち。そこに写る料理も子ども達も、よそ行き顔じゃなくて毎日の生活の一部って感じがにじみ出ててとても好きです。この本に料理人として参加されてる3人の中にフランス料理で有名な三国清三さんがいらして、つい惹かれて借りてみた本でしたが、レシピ本として、写真本として、また三国さんの横顔を垣間見れる本としても楽しめました。ちなみに、実際に作ってみたくなった料理は、音羽和紀さんの担当されたページのものが多かったです。

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2001年10月14日 (日)

『絵本画家の日記』

長 新太    ブックローン出版


すでに廃刊となった、絵本情報誌『Pee Boo』に掲載されていた長さんのエッセイを集めたもの。
それにしても、長さんの危機感は凄まじい。
最近の絵本をめぐる出版事情や作家達の姿勢に対して、
これでもか、これでもかと、石つぶてを投げてくる。

皮肉な事に、この絵本をめぐる世界が厳しいのは、
『Pee Bee』が廃刊になったことだけでも
すでに証明されてしまっている。

この絵本(と呼べるのか)の凄さは、
長さんの視線を体験できるところかな。
長さんの作品ならいくらでも見ることが出来るけど、
長さんという人が、何を見ているか視線の行方を、
この日記を読むことで、体感できる。

そうか・・・。長さんもいろんな作家さんのことを
普通に意識していたんだ。
長さんがそんな、
才能や名声、収入といった物欲・煩悩も
持て余した一絵描きだったなんて、
あの全てを悟ったような外見からは
窺い知る事も出来なかった。
それが何だか可笑しいような、哀しいような・・・。

わたしの1番好きなページ。
おやつにジャムパン(JAMPAN)を食べたら、
袋の文字が(JAPAN)に見えて、
今の日本の絵本が、
JAMPANのようにふわふわで甘いだけのものになってやしないかと、結びつけていくページ。

長さんは、JAMPANの袋に
「品質に万全を期している」という但し書きを見つけて、
果たしてそんな出版社があるのか!?と
疑問を呈するが、事態はもっと深刻なのかもしれない。

チョーさん、もっと、もっと
石つぶて、投げて行ってちょうだいね。
(チョーさん風、言い回し)

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